アリスベイリーの秘教学
ジュワルクール大師による不朽の叡智
「2025年研究会」
2025年までに、この教えを理解したなら
新たな啓示がやってくるであろう
ジュワルクール大師
ジュワルクール大師—最新の啓示であり不朽の叡智を100年前に伝えた「知恵の大師」とよばれるイニシエート/アデプト
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アリスベイリーの秘教学 「2025年研究会」
2025年のウエサク祭で終わる
これは、
ウェブサイト
2025年が、もうすぐ始まるー
アリスベイリーの秘教学は約100年前に書かれたが、18巻におよぶ本には繰り返し「2025年」という年数が書かれているため、多くの秘教徒は「2025年」を一つの目標として過ごしている。
その「2025年」は泣いても笑っても、もう数か月後に迎える現実である。
世界で何が起こるのか、もしくは起こらないか―誰にもわからない。しかし、「2025年にはハイラーキーの大会議が開かれる」とジュワルクール大師が予言した年は、確かにやってくる。それならば2025年の前年、一生に一回しか経験できない「2025年の前年」を秘教徒として有意義に過ごしたい、出来る限りのことはしたいーと、私は願うのである。それを呼び覚ましたのは、2024年始まりの日に起きた能登半島地震だった。
2018年に秘教学を学びあう仲間の場を立ち上げた時、2025年のウエサク祭までには全ての秘教本(18巻/28冊)の読書会を開くことを決めた。そして8割は今年中で終了する。この長かった「18巻で一冊の本」を読み終えるなかで、2025年にまつわる文章、そして次世代への大師からのメッセージが多いことに気が付けたのは望外の喜びだった。
その未来への大師方からのメッセージをウェブに残すことで、ジュワルクール大師、そして共に朗読を続けてくれた日本の秘教徒のみなさんへの感謝が伝われば幸いである。みなさんの存在があってこそ「一年に一冊読むのがやっと」と言われる秘教本18巻を、7年で読み終えることができたのだから。
2024年桃の節句の日
名もなき一人の秘教徒
*アリスベイリー名で出版されたジュワルクール大師のオリジナル版(英語版)は18巻ですが、日本語版は30冊(うち二冊は翻訳中/未出版)になります。秘教徒のエルダーは「18巻すべてで一冊の本」だと言います。
Alice A. Bailey
アリスベイリー 1880-1949
「私は彼のタイピストにすぎません」
ジュワルクール大師ー通称チベット人からのメンタルテレパシーを18巻の本として出版したアリスベイリー。名家に生まれた熱心なキリスト教徒であり、インドでの布教活動中に出逢った牧師と結婚して渡米したが、壮絶なDV体験が理由で離婚、三人の幼い娘たちを育てるシングルマザーとしての貧困生活を過ごす中での休憩中、大師からのテレパシーが突然に始まる。そして亡くなる三か月前までテレパシーは続き、約30年間の大師との協働作業としての18冊、自身でも自叙伝を含む6冊を出版した。彼女が設立したアーケインスクール(瞑想と奉仕、そして不朽の叡智を学ぶ学校)は現在でも無償で提供され、現在でも世界中にアリスベイリーの秘教学は広まっている。
秘教学を学びつづけて
私にとっての秘教本は「自分の内側と向き合う鏡」のような存在です。盲信や信仰の対象でもなく。また高次元の情報や知識として「知っている事」にプライドや安心感を抱くために出版されてもいません。テレパシーという非科学的な方法を用いるアリスベイリーは世界中から賞賛されながらも、同じくらい批判もされました。ユングにも黙殺されました。
それでも不屈の精神で出版を続けたアリス自身の願いは一貫して「この世界を見守り導く存在者方がいる。それを知ってほしい」というシンプルなものでした。
アリスほどではありませんが秘教学が理解されづらい日本で生きる私自身も、心に孤独を抱えながら「秘教学に出逢った人がその情報/知識を活かして、幸せに奉仕の人生を生きてほしい」と願い、学び、発信を続けてきました。
2014年秘教学と出会って10年が過ぎました。その一つの区切りとして、このウェブを次世代のために立ち上げます。これから本を手にする方、2025年以降の世界に希望を持ちたい方、そして真理の探究者、それぞれの方に一つの視点を提供できれば幸いです。
秘教学は、思考だけではなく、持ち帰って実践、経験を積むことで理解すること。そうすることで、自己信頼が生まれ、チベット人が願う「意識の拡大」が起きます。私が受け取った一番大きな知恵は、この「学びでの自分の在り方」だったのかもしれません。
秘教学はじまりの書
「イニシエーション」
最初の文章
「主仏陀は言われた」
ただそう言われているからといって、ものごとを信じてはならない。
昔から伝わってきたものだからといって、その言い伝えを信じてはならない。
そのように噂されているからといって、その噂を信じてはならない。
聖者が書いたものだからといって、その書を信じてはならない。
デーヴァから(霊的なインスピレーションと思われる形で)与えられたものと思い込んで、
その空想を信じてはならない。
でたらめな憶測から引き出した結論に基づいて、また、必然的にそう類推されると思われるからといって、
あるいは、単に教師や先生の権威を拠りどころにして、信じてはならない。
しかし、自分の理性と意識において確証を得たときには、そのような書、教義、言葉を信じるべきである。
仏陀は最後に次のように言われた。
「そういうわけで、私があなた方に教えたのは、そう聞いたからというだけで、信じてはならないが、
自らの意識で確信したならば、その信念に従って一所懸命に行動せよということである」と。