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執筆者の写真2025年研究会

聖なる好奇心

海外の秘教リーダーたちの瞑想会が、ものすごいアップデートをしました。


シャンバラとの直接的なつながりです。どのように…は、ここでは語れませんが、なるほどキリストが第1と第2イニシエーションの司祭であることからも、納得のアップデートでした。


一般的に「シャンバラとのつながり」と聞いた人の心に起こるのは「恐怖心や畏敬」、またはシャンバラを知らないがゆえの「純粋な好奇心」でしょう。どれもがシャンバラとのつながりには不要ですし、危険な体験を引き起こします。


大切なのは「聖なる好奇心」だと思いました。これは私が作った言葉で、秘教学を学ぶ人を観察続けて、好奇心にも2通りあると気づいたのです。


まず「純粋な好奇心」は、自分のアイデンティティのために、自分の成長や知識の習得のために「知りたい」と思うパーソナリティの衝動です。これは悪いことではありません。その好奇心があって、はじめて自分を成長させる体験へとつながるのですが、秘教学の教え、特に「シャンバラとのつながり」で、純粋な好奇心は危険です。


なぜならシャンバラのパワーは「意思の力」であり、そのパワーを授かる者は他者への奉仕に使わねば、自分ひとりでは抱えきれません。使いきれないパワーは自分の体や心の負担になります。もし「自分のため」を生きている人が「圧倒的な力と責任をもって自分のためではなく、誰かのために生きねばならない」としたら、プレッシャーを感じませんか?


ここは「よい悪い」ではなく、単なるエネルギーの法則です。エネルギーはありすぎると物質を壊します。なさすぎると物質は動きません。シャンバラのエネルギーは「ありすぎる」という状況を引き起こします。ハイラーキーであればブッディ意識ですから、愛たっぷりで、つながれば癒しも起きますが、シャンバラは違います。


続いて「聖なる好奇心」とは、「自分のためではなく、誰かを癒したり育てたり、人類を幸せに、地球を平和にするために知りたい」と願う魂の衝動です。この好奇心は包括的であり、魂自身の成長の願いであり、利他的な意志力も備わっています。(それも必要なくなると、魂は消滅して、ロゴスと一体化するのです)


シャンバラとのつながりにおいて必要なのは、この「聖なる好奇心」。シャンバラの意思のパワーと、魂の意志のパワーが響きあって、責任と力が相乗効果の結果をもたらします。そのパワーは自分から地上へと流れ(意識が利他に開いているため、自分以外に流れる通路ができています)、地上での物質化にシャンバラのパワーは注がれるでしょう。


私はこの場面を思うたびに、「プロメテウスの火」を思い出します。神の火を盗んだ(シャンバラの意思を引き受けた)プロメテウスは、人類に火をもたらし、その後は毎日肝臓を破壊されては、生き返る不死の罰を受けますが、最終的にはヘラクレスに助けられます。この不死の罰は、「地上の人間の子を救うためには、何度も肉体を転生せねばならない神の子(魂)」の比喩だと私は感じます。そして、人類の偉大なパーソナリティであり魂へと成長したヘラクレスによって助けられるのも、「成長した魂が生まれることによって、老いた魂は転生から救われていく」…という、魂の法則に感じました。


ですから、シャンバラの火を受ける人は、プロメテウスのように罰を受けながらも、自分がする奉仕に後悔をしない、自分の盗んだ火種が、この先の希望につながる…と信じる覚悟が必要ですから、純粋な好奇心では引き受けられないことが分かるでしょう。


私はこの皆既日食で、少なくとも世界の奉仕者たちは「シャンバラの意思」を引き受けたと思います。それはまず、シャンバラのビジョンとして現れ、そのビジョンをうけとった弟子たちが、地上でのアイデアに落とし込んでいく…。


もちろん「私がビジョンを受け取りました」…はありません。でもこの世界に「新たな世界のためのビジョン」を受け取った弟子がいる…という確信はあります。主観的に感じていますが、皆既日食の翌朝、世界中の奉仕者たちの興奮と喜びに満ちたメール、投稿などで確信しました。そのビジョンは、いずれ現れるでしょう。ゆっくりと待ちたいと思います。


今日のシェアは、純粋な好奇心にある「受け身的な目的」、聖なる好奇心にある「意志力」。その違いを、識別のためにつかってください。



光線とイニシエーション(上巻)上巻p.96-121 規定3

*この文章は研究会で朗読しやすいように多少の編集をしています。全文しっかりと読みたい方は必ずAABライブラリーから購入下さい。




目的と意志の間には明確な違いがある。それはまさに微妙であるが、進歩したイニシエートには全く明確である。


そのため、私たちの惑星顕現と私たちの太陽表現の二重の性質がここにも現われている。シャンバラの大評議会のメンバーはこの違いを認識しているため、彼ら自身を二つのグループに分けている。そのグループは古代の用語では、目的の感知者と意志の管理者と呼ばれている。



意志は活動的である。目的は受け身であり、意志の活動の結果を待っている。


各々が弟子の道に沿って前進し、イニシエーションに必要な訓練を受けるにつれて、これらの真理は把握され、習得されるであろう。それらはまた、今世紀(二十世紀)後半か次世紀(二十一世紀)には、急速な発達を遂げる人類によっても習得され、現在のイニシエーションが最終的には大衆の過去の達成になることを実証するであろう。



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