top of page
執筆者の写真2025年研究会

理解しようという努力

今日は内容そのもの…より、俯瞰的な2つの視点が大切です。


①難しすぎる秘教学は「誰のために書かれた学問なのか」

それは本が出版された当時の人々のためではなく、「未来の人々のためである」と書かれています。でも、それって「いま/現代」では?


②「理解しようという努力が有益である」秘教初心者のみなさんに知ってほしい言葉。

難しすぎて秘教学を辞めてしまう方は多いです。10人いれば一年を超えるのは6人、2年を超えるのは4人。3年を超えるのは2人くらいでしょう。3年超えて「ようやくわかり始めた」という言葉がでる学問です。それまでは好奇心と誠実さが導いてくれるでしょうが、3年を超える先へと導くのは「理解しようという努力と、わかるまでの忍耐力」こそが、「自分の在り方を整える」という確信だと思います。だから秘教学は教えられるものではなく、体験するもの…とも言えるでしょう。


3年頑張ってくれたらいいのに…と思いながら、秘教学をやめていく人をたくさん見送ってきました。最初は心が痛んだのですが、最近は慣れてきたかな。でも慣れは、この役割を終える達成感にも思えます。


3年は、ぜひ続けてもらいたい「理解しようという努力」。そして秘教学を届ける人は「理解しようという努力」を感じたら、承認して、導いてあげてください。


最初の三段の文字が小さいのは、そこが「理解しようという努力」が必要な個所だからです。




光線とイニシエーション(上巻)引用2 上巻p44-71 規定1

*この文章は研究会で朗読しやすいように多少の編集をしています。全文しっかりと読みたい方は必ずAABライブラリーから購入下さい。




まず最初に、イニシエートになることを求める人の基本的な姿勢はどのようなものであるべきかに注目してほしい。それは、純粋理性に支配された目的を霊的な活動において成就しようという姿勢であるべきである。これは文章に書くのは容易であるが、あなた方に具体的に何を伝えているであろうか。 「高位の進化の道」は、さらに大いなる秘儀を目指す熱誠家の前に開けるが、最初はしばしば困惑し、 魂意識を目指すパーソナリティーの前進つまり進化と、それよりも前方にあり、純粋な意識の開花とは本質的に異なる進歩の性質との違いを、自分のマインドにおいて頻繁に問いただす。 第三イニシーションの後、イニシエートは意識には全く関わらず、自らの個人の意志と神聖な意志との融合に関与するようになるという事実を、あなた方は把握してきたであろうか。イニシエートはそのとき、接触の感受性を増大させることや周囲の状態に対する自らの意識的な反応には夢中にならずに、大計画への奉仕という科学の持つダイナミックなエネルギーにますます気づきつつある。この違いを認識できるようになるのは、パーソナリティーと魂の意志が融合され、その混ぜ合わされた表現が神の大目的—過去五十五年間そうであったように、時には遅れることはあっても、挫折することはありえない目的—の燃える光の中に補えたときだけである。 私がこれまでに述べてきたことの多くは、あなた方には無意味に思えるであろう。 なぜなら、魂とパーソナリティーの最終的な接触がまだ起こっておらず、三つの意志様相の顕現がまだ理解されていないからである。 しかし、以前にも述べたように、今転生に入りつつあり、今世紀末、二十世紀末に意識と奉仕を完全に開花させるであろう弟子とイニシエートたちのために、私はこれを書いている。 しかし、理解しようとあなた方が努力することは、たとえ脳がそれを感知しなくても有益であろう。 (これが書かれたのは1943年1月)、

閲覧数:171回0件のコメント

Comments


bottom of page