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執筆者の写真2025年研究会

天照大神とキリスト①~ガヤトリ

私は学者がするように、自分の主張を裏付けるために秘教学の文章を引用して、自分の主張の正当性を主張する…という方法は、基本的にはNGだと思ってます。学んだ文章での気づきを伝えるのはOKですが、「主張」ありきで、その補完に秘教学の文章を引用するのなら「全巻読んでからにしてほしい」と思うのです。なぜなら秘教本は18巻で一冊の本です。途中でDK大師の主張が変わることもあります。なにせ約30年にわたって書かれた本です。途中で世界情勢が変わることもありますから。


ですから、このウエサク祭とゴールデンウィークで私がした「天照大神とキリスト」という対話会は、私にとっては自分で自分のルールを破った行為でしたが、あえてやってみて、なるほど「この方法だと見えてなかったことが見えてくる」という気づきもありました。もう開催ありませんが、いいチャレンジができました。参加した皆様ありがとうございました。


伝えきれなかった資料もあるので、ここでボチボチ伝えてきます。2025年を迎える前だからこそ、書き残したほうがいいように感じるので。



これは「ガヤトリのマントラ」です。DK大師も「新時代の弟子道」で唱えるようにと書いています。大祈願や他のマントラほどではありませんが、LucisTrust主催の大きなコンファレンスでは必ず唱えます。(英語はLucis Trustで使用しているもの、翻訳は私がしました)


今回の「天照大神とキリスト」は、私にとって古代史を探求する時間となりました。しかし探求するたびに、「それは単なる知的好奇心を満たしたい、自分のパーソナリティ的な欲望なのでは?」という恐れも立ち上がりました。


知ったところで、何になるというのか?

その事実が、これからの世界を平和にする糧になるというのか?


それでも、私は探求を続けました。


なぜなら、現代の「いまここ」にある情報だけでは、私は、人類は袋小路に彷徨うであろうという直観がありました。人間は大きな霊的成長をする手前で、過去を検証することは不可避だからです。私たちはマインドの力と次元を成長させるためには、まったく新しいアイデンティティを獲得する必要があります。そのために、時に人は過去生を振り返る必要もあります。


ですが今回は個人的な過去生ではなく、日本国民の過去生を、私は振り返ったのです。(このように民族の過去生を振返るということは、人類が大きな霊的成長をする間際…だといいですね)





そして魂意識には、現在未来だけではなく、過去も見渡す力があります。現代人は「いまここ」を生きることに関して素晴らしい力を開発していますが、魂意識にとっての「いまここ」は更に広大な時間軸を捉えることです。何千年も前の古代史に意識を向けるのは、これまで予見も知覚もできなかった障壁を超える、魂の把握力のトレーニングにも思えました。


何千年も前の(未来と同じくらい記憶がない)過去も知覚できると、マインドはより鋭くなり、より自信も獲得して、意思も強くなります。私たちの魂が持つ創造的な想像力は、未来だけでなく、過去の集合的にまったく異なるビジョンも見えるはずなのです。


魂のアイデンティティとは、現世だけに留まらないのですから。


この瞬間の、魂の認識は、急速に生成されるため、それはあたかも「いまここ」にしかないように感じるでしょうが、魂にとっては実際、とても緩やかな展開であり、過去の長い歴史から共有されてきた真実の新しい感覚への大きな移行なのです。


人のマインドとハートを通して解き放たれる、 魂の強力なインスピレーションとは何でしょうか?


それは過去の軌跡に光を当て、   自分の霊的成長の旅路において大切なこと、あるいは将来の世代のために大切なことを、 より明確に理解することでしょう。


それはあたかも魂の繊細な呼びかけが、古代の時代を生きている私、21世紀を生きる私、それぞれの声を通して響き渡り、ガヤトリとして知られる古代の祈りとも共鳴するのです。


ですから私は「天照大神とキリスト」というキーワードを頼りに、日本を創った人々の声に、おそらく私も生きていたであろう古代の日本の民の声に、耳を傾けたいと願って、縄文時代後期から弥生時代、飛鳥時代、そして古代イスラエルから大和王朝、平安京を探求しました。


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