3.11は純粋に津波や震災でなくなった方を慰霊したいので、この記事は2日後に投稿する。2023年の3月11日の月曜日、リアルタイムで「3.11と映画とのシンクロ」が起きた。
今年の米国アカデミー賞の受賞発表は(日本時間で)3.11だった。作品賞は「オッペンハイマー」、そして日本映画の「ゴジラ」と「君たちはどう生きるか」も受賞、同じく日本映画の「perfect days」を退けた外国映画では「関心領域」が受賞した。どれもが「第二次世界大戦」に関係する映画だ。
終らないウクライナ戦争、ガザ地区の戦争…核兵器の脅威は去っていない世界で、思考者たちには「どうしたら?」という問いがあるのだろう。アカデミー賞の結果に、集合意識的な「戦争への危機感」があると感じた。
「オッペンハイマー」は多くの賞を受賞したが、受賞スピーチで「平和」について触れたのは主演男優賞のキリアン・マーフィーだけなのは寂しかったが、それでも彼が(アイルランド人だから?)勇気をもって核保有国のアメリカでスピーチしたことは嬉しかった。「私たちは原爆を作った男の映画を作り、良くも悪くも、皆オッペンハイマーの世界に生きています。なので、世界中で平和のために活動している人たちに、この賞を捧げたいと思います」*最後に追記
そして受賞後インタビューでのゴジラの山崎監督の言葉(一人の映画ファンとして感動で泣けた受賞だった)
「ゴジラというのは、戦争の象徴であったり、核兵器の象徴であるゴジラをなんとか鎮めるという話だと思うんですけど、その“鎮める”という感覚を、世界がいま欲しているんではないかなと。それが『ゴジラ』のヒットの一部につながっているんではないかなというふうに思います。それとは別に、『オッペンハイマー』に対するアンサーの映画は、僕の個人的な思いとしてはいつか、ほんとにアンサーの映画を、日本人としては作らなきゃいけないんじゃないかなというふうに感じています」
意識が正しい方向へ向いている人もいる…と安心する。それであれば、いつか「原爆/原発」への人類としての答えを見いだせるだろう。大きな悲劇が起きる前に、平和へと一歩前進してほしい。広島長崎の被爆者たちの「原爆は二度とつかってはならない」という叫びは、日本人として私も祈り、伝え続けたい。そして福島原発事故も終わってはいない。多くの避難民がいること、「原発の取り扱い方に、人類共通のコンセンサスがないこと」を、13年目の3.11でも、私は心に刻む。
そのうえで、なぜDK大師は原子力には未来の希望があると書いているのかーも探求を続けたい。
日本人の秘教徒として、一番葛藤する「原子力/原爆」というテーマ。2025年になるまえに、「オッペンハイマー」という映画が、その葛藤に終止符をうってくれるのだろうか?
オッペンハイマーは「どんな偉大な光と力を、見たのだろうか?」
今日の引用は「秘教治療下巻・第六章/除去の術」p.147
死は人間にとってまさに、原子の解放のようなものである。 原子エネルギーの解放という偉大な科学的発見はこのことを実証してきた。 原子核は二つに分裂する(この言葉は科学的には不正確であるが)。 原子の人生経験での、この出来事は偉大な光と偉大な力を解放する。 アストラル界において「死」という現象は幾分似た影響をもたらし、 原子エネルギーの解放によって引き起こされる現象と非常に似ている。
追記:映画「オッペンハイマー」は、原爆をうみだした科学者オッペンハイマーの視点で、彼の人生を描いた映画のため、日本への原爆投下に寄り添うシーンがなく、日本での上映を引き受ける配給会社がみつからない状況でした。ノーラン監督がなぜそのように撮影したのか?希望も感じるインタビュー記事。ご興味があればどうぞ。
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