ご存じですか?冥王星の命名の由来を。冥王星は1930年2月に発見され、命名は当時12歳だった女の子が「最近読んだギリシア神話で印象に残った名前」として提出されたアイデアを、天文学者たちが多数決で決めたのです。いまは「古来から冥王星と呼ばれていた」ぐらいに真剣に説明されていますが、発見されたのは約100年前。当時は沢山の名前が候補にあったそうですが、「宇宙の冷たく暗い領域を周回する天体」に相応しい名前として採用されました。
スミソニアンの記事(英文ですが写真で伝わるでしょう)
では冥王星は12歳の少女の偶然の思いつきが「一般的な占星術家にまで浸透する情報」になったのでしょうか。そこはミラクルとしか言いようがありません。この12歳の少女は「あの1930年2月に発見される惑星に冥王星と名付けるために生まれてきた」と思えるほどです。
DK大師は秘教占星学にこう書いています。
冥王星は死と死の領域を象徴し、地球は経験の領域を象徴している。
つまり、12歳の少女の思い付きは正解だったのです。冥王星は「死」を象徴しています。
それから20世紀半ば頃にかけて、多くの占星術家が研究を重ねて海外の占星術協会などで自然にコンセンサスがまとまり、一般的な解説である「冥王星は死と再生(破壊と大変容)を司る惑星」となりました。一人の占星術家が権威をもって決めたーというより、多くの占星術家の研究の積み重ねでの解釈が、いまは日本でも一般的な解釈になっています。
そして輪廻転生を受け入れていない西洋人が「死は存在せず、再生(転生)する」という概念を受け入れ始めた兆しと、冥王星の発見は時期的にシンクロしています。冥王星に関するインスピレーションは、12歳の女の子に始まりながらも、多くの占星術家のマインドを刺激して「死とは?」を考えさせられた体験になったのではーと想像します。私は冥王星が発見されてからのプロセスには、占星術家が思うよりも深い秘教的な意味があるかもしれないーと感じるのです。
ユングをはじめとして占星術に傾倒する思考者は、表面的にはギリシア神話をベースにしている占星術の理解を、東洋思想にまで広げないと本質には辿り着けないと、本能的に理解しています。神智学や秘教学だけではなく、占星術もまた西洋と東洋の思想的な架け橋になったのではないでしょうか。このあたりにもハイラーキーが流入させる光の刺激を感じます。
「冥王星」で正解だった命名ですが、冥王星の占星術的な解釈は、まだ紆余曲折だと思います。海外の占星術家の本やサイトなどを調べてみると、「冥王星の解釈は柔軟でなければならない」と、「死と再生」に特徴づけている占星術業界をたしなめています。それはDK大師が以下に予言していた通りなのです。
私自身は「死」というより「解放」という視点を大切にしたいなーと、特に「秘教治療」で死についての本質を学ぶにつれて思います。太陽系の隅っこにあるがゆえに、太陽系に閉じ込められた魂には太陽系外への解放の門のように感じるのです。
水瓶座冥王星の20年は、どんな思考の限定(グラマーやイリュージョン)から人類は解放されるのだろうかーという問いをもちつつ、魚座の秘教的支配星が冥王星であることから、太陽魚座生まれの私は、冥王星の探求が自分の魂を知る機会になればーと願っています。
また、占星家たちは次のことも覚えておかなければならない。つまり、未発見の惑星がいくつかあり、これらが地球に焦点化するエネルギーの流れを引きつけ、その方向性を変化させており、そのことが問題をさらに複雑にする傾向があるということを。 冥王星はその一つであり、現在顕現化してきたため(―と言うよりもむしろ、認識されたため)、説明できないすべての状態の原因が冥王星にあると考えられるようになるであろう。冥王星は将来、長い期間にわたって、誤った占星学のスケープゴートにされるであろう。この占星図が有効でなく真実でない理由は、冥王星がそれに影響を与えているにもかかわらず、私たちが冥王星についてほとんど何も知らないためである。このように言われるであろう。 しかし、冥王星は私たちの太陽の周りを常に回転し、その影響力を揮ってきた。しかしながら、それは古いアイディアと感情の死、つまり停止を支配し、したがって、その影響は主として知的なものである。ここに冥王星の発見が遅れたことを示す手がかりがある。人類は知的になる瀬戸際にいる。冥王星の影響はまずメンタル体に感じられる。惑星の名前は任意に選ばれたのではなく、惑星が自ら名付けるのである。
ホワイトマジック下巻より
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