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執筆者の写真2025年研究会

カルマと過去生について

夏至と同時に始まり、7.21まで続く蟹座太陽の季節は、2024年は2回の蟹座満月が起きることから、「過去生やカルマ」に意図をもって瞑想を積み上げたら、扉から入って、扉からでるような…記憶にまつわる不思議な時空間が広がる一か月になるでしょう。


…と、前回のブログで書いたら、今朝の秘教治療の読書会のテーマがドンピシャ「カルマ」で、主宰する私も「カルマの知識」を復習でき、ありがたい時間でした。こんなシンクロが蟹座時間ですね。普段の時間は直線であっても、この一か月の時間は円(縁)にして「何かと何か」を紡ぐ出来事が起きやすくなります。


蟹座は「記憶」にまつわるサインです。学校教育の「暗記」と関連する「記憶」ではなく、過去の出来事を思い出すという「記憶」。暗記した記憶を一生懸命思い出すというより、ふとした瞬間に過去の情報が蘇ってくるような。その瞬間、過去といまが点と点でつながるような、脳の働きを超えた生命体の不思議です。


意識と心が「カルマの法則や過去生」に開いていれば、より浄化が進む一か月であるようにと願って、今朝の読書会で朗読した文章をシェアします。





魂の生活とは、とてもシンプルです。人生が複雑になりすぎて、身動きがとれないとしたら、その原因は過去生も含めたカルマに、状況を乗り越えるヒントがあるでしょう。カルマは「過去生にその原因を見つけて、意識化すること(過去生という暗闇の記録にスポットライトの光をあてることが意識化)」だけでも、かなり手放せるものはあります。あとは感謝して、その人や状況から離れることです。


雨の季節のなかでのカルマの解消は、時間が少し静止したなかで、焦らずに、心を落ち着けて、自分だけの世界にはいっていくようなもの(蟹の甲羅は、その象徴です)雨の音をききながら、時間を止めて、自分の戻りたい過去への扉が開きますように。


そういえば「おきくの世界」という黒木華主演のモノクロ映画を昨年鑑賞しました。江戸時代の武士の娘の話ですが、始まりのシーンが雨。雨音を聞いているだけで、江戸時代に意識がむかう邂逅がスムーズだったのを思い出します。雨、そして雨音は人の意識を変性させるのでしょう。


その願いを成就するために、カルマと過去生に関する、秘教治療(上巻)のシェアが役立ちますように。


こうした内的な諸体、それらの限界、それらの豊かさ、それらの短所と長所、それらのサイキック的、心理的な傾向は、以前の様々な生涯から受け継がれてきたものであり、したがって現在の地上での状況を生み出した原因になるものであるという結論に。 したがって、私たちは単に現在の原因をさらに遠くにまでさかのぼってきただけである。 過去世の記憶の回復という問題全体は、無限の可能性を秘めたものである。


カルマの相殺方法としては4つある。 1.原因の性質と、それが起こった意識領域を特定する。 2.効力を発揮している原因の反対極にある特質を発達させる。 3.原因が現われるのを抑え、不幸な状態がさらに生じるのを防ぐために、無害性を実践する。 4.魂が望む状態を作り出す上で必要とされる物理的な措置を講じる。

*昨年、エナジーワークコーチングで過去生を扱ったとき、この4つの相殺法はコーチとして大いに役立ち、人間関係のシステムが変わる瞬間に立ち会えました。カルマは期限を決めて意識をしっかりと保ちながら、伴走するコーチに支えられながら解消することをお勧めします。





重要な要素は、人間が生涯から生涯へと始動させる原因である。それらが病気として現われ、環境や出来事において何らかの悲惨な結果として現われ、ある特定の転生を全体的に条件づける。 原因を認識し、条件づけるエネルギーをそれに見合った結果にまで辿り、訓練された意志による抵抗によってその原因を打ち消すという仕事に主に対処するために、こうした原因を処理することを学ばなければならない。 カルマは必至の避けられない悲惨な出来事ではない。それは相殺することができる。





見かけ上の不公正について説明し、苦痛や病気や苦難といった現われを常に重視するようなカルマの法則に与えられる強調は、根本的な宇宙法則の部分的な提示にすぎない。 カルマの法則は、正しく理解し適切に用いたとき、一連の結果を伴う苦痛以上に、幸福、善、苦痛からの解放を生み出すものをもたらしうる

原因結果の法則は、今私たちが解釈し ているように理解すべきものではない。 カルマの法則は、この主題について書かれている流行の本の法則ではない。それはカルマの法則の作用の一面でしかない。原因結果の法則は、今私たちが解釈し ているように理解すべきものではない。

追記:カルマと過去生について一番詳しく描かれているのは「秘教治療」と「宇宙の火」です。やはり病気と死は誰であっても「病気の原因を特定するために」霊的世界に意識を広げる機会でもあるからでしょう。










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