偶然にも、春分の日のシェアに相応しい文章が、巡ってきました。春の日おめでとうございます。冬至で闇から光を微かに希望のように感じ、春になれば光そのものに満ち溢れる…。森羅万象に身を任せていれば、周期性の法則のもとで、春は、朝は、希望は、必ず巡ってきますが、弟子道を生きる者は「自ら光になる」ために、森羅万象に完全に身をゆだねることなく、日々自分と向き合う道を歩まねばなりません。
なぜなら、悪も闇も、その源は「宇宙」そのものに備わっているから。自分の神聖さ、光が常に春の光のように輝けたら…と。
今日シェアする文章は、本が書かれた世界大戦当時の、闇のブラザーフッドの状況です。彼らは、いまどうしているのでしょうか。「過去の情報」として忘れていい情報なのか、いまも活きてる情報なのか。ポイントは彼らが活性化される次元はメンタル界であり、現代人の意識はメンタル次元に開き始めていると考えられます。
今日シェアする文章は「護符」として、私は時にふれて読み返します。闇は、自分が成長すればするほど、陥りやすい罠です。春分の日に、読み返し、みなさまと分かち合えることを嬉しく思います。
引用元 秘教瞑想に関する手紙 Letters on Occult Meditation P.154-157
闇の兄弟たちから生じる危険
*この文章は研究会で朗読しやすいように多少の編集をしています。全文しっかりと読みたい方は必ずAABライブラリーから購入下さい。
闇の兄弟たち――この源からの危険は、一般の学ぶ人々にとって恐れる必要のないものであることを強調したい。このような存在の注目を引きつけるのは、弟子道に近づき、ホワイトブラザーフッドの道具として同胞から抜きん出たときだけである。その弟子に対するいくつかの攻撃方法を簡単に指摘しよう。(注:この投稿では大幅に省略して、対処方法をシェアします。2025年を乗り越えるために、自分の魂とつながるために何度も読み返す文章です) 闇は何も隠すことができないこと、闇は意識の安定した中心に触れることはできないこと、内なる神は存在し続けることーを思い出すべきである。そして、終わるまで屈せずに耐えるべきである。 ―何が終わるまでであろうか。雲による覆い包みの終わり、雲が日光に溶け込むまでである。どのようなときであれ何も内的な意識に影響を与え、傷つけることはできないと認識して、そのような時期をやり過ごし、日光のもとに出るべきである。 外で何が起こっていようとも、内には神がいる。 私たちはー物質的、情緒的、メンタル的のいずれであれー周囲の状況を見ることで、ハートの奥深い中心に、宇宙ロゴスとの接点が秘められていることを忘れがちになる。 最後に、メンタル的な闇で弟子を覆い包むという方法を取り上げる。この闇は知的なものであるため、貫き通すのがさらに困難である。なぜなら、冷静な論理力によ って大体の苦しみを払うことができるのに対して、この場合は、魂のパワーを呼び入れなければならないからである。 この特殊なケースにおいて弟子は、雲を追い散らすために自らの魂つまり高位我に呼びかけようとするだけではなく、自らの教師、自らの大師に、彼らが提供できる援助を求めたほうが賢明であろう。
みなさまが自分自身の魂、内なる神と出会う春分でありますように。
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