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執筆者の写真2025年研究会

2024年ノーベル平和賞によせて

昭和31年に結成され、原爆被害の国家補償と核廃絶の2つを掲げて活動してきた日本原水爆被害者団体協議会(略:被団協)がノーベル平和賞を受賞した。今年のアカデミー賞はオッペンハイマー、この上半期に大ヒットした朝ドラの「虎に翼」被爆者の裁判に踏み込んだ。そして世界中の平和活動家と祈り人達が団体や宗派を超えて集ったUnity Earthは、今年の世界ツアーを広島にした。


私は2020年から毎年8月、6日と9日、そして15日に鎮魂の祈りをライブ配信で続けている。今年に入ってからは縁ある宗教団体と協働で核兵器廃絶の祈りを毎月6日と9日に行っている。


大きな受賞につながる流れがあった。その流れを目撃できた喜びでいっぱいだ。


HIroshima


祈りとは、意識を絶えず向け続け、現場にエネルギーを送ることだと、私は秘教徒のエルダー達から学んだ。その学びを人生の実践に持ち帰っている活動が、世界中の秘教徒と立ち上げたグローバルサイレントミニッツ(略GSM)であり、そこから派生した核兵器廃絶の祈りだ。


それは日々の孤独な祈りの積み上げと、たまに開催されるグループでの祈り、その二つが機能して、流れがはじまる。


この受賞を知って、すぐにGSMの創始者たちにメールをした。彼らも自分事のように被団協のノーベル平和賞受賞を喜んでいた。エネルギーの流れは祈りが真摯なら必ずつくれるーそして、これを励みにさらに祈りをパワフルに続けようと。


Nagasaki


GSMが秘教的であるのは、ベールの向こう側にいる魂たちのエネルギーを自分たちの祈りに加える…という流れが「サイレントミニッツー沈黙の時間」にあるからだ。ただしGSMは可能なかぎりフラットで中立的な祈りなので、「ハイラーキー」という言葉をつかうことも「キリスト」という言葉をつかうこともない。ただ「ベールの向こう側」という。そして核兵器廃絶の祈りでは、もう少し具体的に「ベールの向こう側にいる原爆で亡くなった方々の魂を招き入れましょう」…と言う。


「ベールの向こう側」を信じている人にできる素朴な祈りになるように。


そのような祈りを続けてきたからこそ、この受賞は「ベールの向こう側」にいる原爆で亡くなった方々、核兵器廃絶に尽力して鬼籍に入った方からの応援もあって実現したと、私には感じるし、信じられる。彼らも喜んでいる。彼らにも伝わっている!…もっといえば、そうなるように彼らがエネルギーを動かしてくれた!と。



なぜに核兵器廃絶なのか?

それはシンプルに、私が日本人だからだ。海外の人は原爆の話などに遭遇するのは人生で数回だろうが、私は幼い時から、ドラマや映画、本や教育で原爆の悲劇を学んできた。毎年8月は一本は原爆に関する映画を鑑賞する。今年は「風に吹かれて」を鑑賞した。


そして確信している。原爆だけは絶対に二度と起きてはならないと。



この秋、秘教学を50年近く学んでいるアメリカの平和活動家がこの秋に来日した時に、私に言った。核兵器廃絶は、平和活動として世界中の人を心を一つにできる可能性がもっともあるテーマだと。その理由をきくと…


「被爆者たちの真摯な気持ちは、誰の心にも届く。彼らは誰も責めない。ただただ核兵器が廃絶されてほしいと願う純粋な心が人を動かすのよ」


「核兵器廃絶」は平和を願う世界中の人とつながれる「ひとつの祈り」に成長できる灯であり、可能性であり、希望なのだとー海外にも同じように思う人は広がっている。


日本から平和がはじるまるーという予言がある。それを本当にするために、被爆者でもない私に日々できることは、効果的な祈りだと思っている。




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